昭和40年12月28日 夜の御理解
此処のお広前を、皆さんの心のふるさととしての、おかげを頂ける様な頂き方が大事じゃないかと。此処へ信心の稽古をさせて頂くようになり、此処で新しい心が生れるのですから、やはり心のふるさとです。そこのところのおかげを頂きませんとね、お参りをさせて頂いて、なんとはなしにお参りをさせて頂いてよかった、というですかね、いわゆる里帰りをするとか、私共がいうならば母の里に連れられて帰らせて貰った。
あの時のひとつの懐かしさというか、慕わしさというか、なんともいえんその里の味わいというものをです、感じさせて頂く様に なところまで椛目のお広前と皆さんとが、密接なものになっていかなければならない。私今日その事をしみじみ考えたんですけども、皆さんが此処にお参りをしてくる。本当にお参りしてよかったという様なものを感じ、又それを与えれるだけの取次がでけなきゃいけない。
何か持って帰ってもらわなければ、何かを与えて、とにかくおかげ頂いてよかったというものを、何か頂いて帰ってもらわなきゃ、たヾお参りをしてきた。たヾ誰々先生が座って御座ったと、たヾお取次を頂いて何かこう 何にもそういう様なお参りしてよかったといった様なものを与えきらずに返すような事があってはならん。これは取次者のひとつの責任でもあると、こう思うですね。
と同時に私は、又お参りしてくる者、何かなかってもです、一生懸命に、そういう様なものがあったら、どこの端からでも、どこの端からでもと、こうそれを頂いて、帰ることがでける。例えば、カレンダ-ならカレンダ-の、この中の一字を見ても、自分の心に、ピリッと響いて帰れる、何かお土産を、もろうて帰れる様な、私はお参りでなからなければ値打ちがない。
久留米の佐田さんのお母さんが久しぶりに参って見えてから、此処でお届けして折られます、私はあの お参りをしてるときに親先生にお会いがでけるという日には、もう出かけから分ります、と。ね、それが椛目にお参りさせて頂こうと思わせて頂くと、とにかく何んでん順調になってくる。外へ出ると自動車で、いつでん通られんごたるところが、ス-ッと通られる。
西鉄バス停留所に行くと、合楽行きなり吉井行きなりが、ちゃんと来て待っとる、いう様な風にです、はあ、先生とお会いが出けるなと思うて参って来る。あける途端に先生が居られる、又、裏に先生の声がしよる、もう途端に有難うなるというて、涙を浮べてその事を云うておられます。途中で先生が居られる事が分かるとこういう。ですから、そういう風に、云うならば私フアンの方が椛目に参ってきて下されば、私と会うて下されば、何か頂いて帰って下さるだろうけれども、私が居なかったらどうする。
そこで、ならお取次さして頂く者は何か生き生きしたものをここん中で、ここで座っておかに、ゃ、生き生きしたものがなからなければ与えられない。そういう責任がある、同時に私は お参りをさせて頂いたら、よしここに誰が座っていなくてもここの先生が、言わば枯れ果てておってもです、お参りしたが最後、何か此処から頂いて帰れるという、言わばふる里に帰らせてもろうて。
何なりその手土産のいっちょ、もろうて帰る様なものがです。此処に頂けて両方の、その、私は働きあいというものがなからにゃいけん、そういう思いがね。椛目に参って何かその、何かを頂いて頂かなければ帰られん、といった様なものがです、あればです、何を何処の からでも頂いて帰ることがでけるんじゃないかと、いう風に私は思うですね。今日は夕方、高橋さん親子五人連れで。
お母さん 奥さんがお産に里に帰っとりましたから、こちらの方へ廻って帰って、福岡の方へ帰りがけに親子五人連れで、寄った訳なんですが、もう此処で夕方のことでありますもんですから、子供達とあばれてですね。もう投げられて泣いちゃ、又遊んでキャーキャーいって遊んでるんです。私はその事をユキエさんが障子から見てから、もうその大体がのんびりした人ですけれども。
泣きよろがそのとごえようが、ちょいと障子を見てから、ああふみが泣きよる、ア、今度はサダミが泣きよる、というごたる風で出ていって見ようともしない。その中から私は、その有難い雰囲気を感じたんですけども、神様からジーババと頂いたんです、ジーババといった様な事を頂いたんです、そのジーババがですね、おじいさんとおばあさんという様な意味じゃないですもん、どういう意味じゃろかと。
やっぱりジーババのところへ来ておる、里帰りでもしておると同じ様な気持ちでおるのだろうか、と私は思って今此処へ御結界へ着かせて頂いたんですよね。そして此処に何げなしにちょっと開いたら、誰かが此処に天理教青年というのを持ってきておる。ちょっと開いたところがですね、おじばという事が書いてある。ジーババじゃない、おじ、じいばと書いてある、わたしはこれ、まだ読まんから知らんけれども。
おじばというのはどうも、御本部のことの様にある、ですね、そのいわゆる天理教の方達が、心のふるさととしてから通われるところの、大和の国の何処其処のことをおじばというのでしょう。確か、そう思うんです。そうでしょ、ですから結局さっき私が頂いたのは、ジーババという風に感じたんだけど、ジーババではなくて おじばだったとこう思うですね。此処を皆んながおじば 子供達も親達もじばとこう思うておる。
そもそもあの人達の結婚にそのが、第一此の椛目で一緒になることがでけた、おかげで次々三人の子供に恵まれた。神様のおかげで。ね、そういう様な私はおかげを頂いておる、というところにです、やはり椛目の、まず家に帰る前に此処に寄ってから、しかもゆっくりしていける。今日でも丁度そこで来ておる時に、お風呂が沸いたというて参りましたんですから、ゆっくりもでけなかった。
ところがその、どうも高橋さんは今日うかぬ顔してるんですね、このままでは帰されないといった様な感じです。いわゆる何か持たせて帰さなきゃ、このまま帰したらいかんといった様な気なんです。それで私はお風呂入らせて頂いて、一緒にお風呂入ろうかと云ったけれども、いゝえ今日は御無礼すると、こう云う、風呂入っとりましたら、もう先生帰りよります。
あらあんたもう帰ると、ちょっと私が風呂から出るまで待っときゃいゝのにというて、私は自分も帰ることなかごたる風ですから、又すぐ自動車から子供達降ろして、この 私が風呂から上がるのを待っていたんです。それで私があの人達夫婦を前にしてから、いろいろお話することでございます。私はどうもあんたが先のままでは帰されないという気がしたから止めたんだけど、実は私何か知らんけれども。
すっきりせんもんがありますと、こういう。それで私は、今日は渡辺先生が正月に便りに自分が絵を書いて、あちらこちら書き替えたいという、その中にご自分書かれた絵に、私にひとつ讃を書けといわれるわけなんですねえ。それで私、神様に頂いた事をちょっと書かして頂いた、頂いた事というよりも、私の心境というた方がえゝでしょう。このころいう絵が書いてある。
それはね、カマクラの中に福寿草、夫婦の福寿草が二つこう植えてある。カマクラというのは東北あたりで雪の、こう雪を作ってね、その中に子供達がお餅を焼いて食べたり、遊んだりするのを作る、それをカマクラという、そのカマクラの中に福寿草が二つ書いてあるねえ、夫婦、これをその椛目の何処かにお正月だけに掛けると、こういうわけです。ですから、こゝんとこ何か讃を書けと、こういうわけなんです。
それで私は、ハゝー正月に掛けるならば、正月の時の私の気持ちがこうだという気持ちを、私は句にして書いた。こんな風に書いた「そのことは妻に託して屠蘇の座に」そのことは妻に託して屠蘇の座に、そのことそのことは、これは私は私の御本部行きのことを指しているのです。ですからそのことは先生方に託してもいう、そのことは若先生に託してともいう、そのことはもう委員長に託して、秋永先生にというてもいい。
そのことは妻に託して屠蘇の座に、そういう、まあ気持ちを私はこゝにひとつの句にして、これに書かせて頂いた。下んとが夫婦の福寿草だから、私はこれを妻とこう書いた。妻に託していけれるということが有難いのです。例えばユキエさん あんたがお父さんが御用なり、御用の事に一生懸命なんだ。そういう時にですね、一生懸命にお店の方は私が引き受けましたとお父さん明日御用に出てくださいと。
そういう生き生きした気持ちがなからなければ、お父さんの気持ちを引立てることはでけん。今日あんた方がお家に帰りよる、お店に帰りよる、さあお父さん これからは長く休ませて頂いたからバリバリやりますよと、いう様な気持ちになってごらん、この人達の気持ちが引き立つ。そういう気持ちでお母さん、本当に留守事お世話でございました、これから私が一生懸命バリバリやりますけん。
又 お母さんいっ時ゆっくりして頂いていゝですよ、というような気持ちで家に帰れと。家に帰ったら又ババさんとあわにゃならん、ちいうごたる気持ちで帰りよろがと、私が。又 いやなお母さんのあのいうならしうちを受けなければならんことを、くうっとしたごたる風で帰りよる、夫婦の者が。それではやはり 高橋さんがです、妻に託して御用に出ていくという様に、生き生きしたことにならんだろう、と私は。
というて、私は今朝からの御理解の一部を、皆さんに聞いてもろうた。例えて申しますならばです、私がこの御結界を、一年間なら一年間あけます、けれども若先生始め先生方に託して、私が御本部にいけれるということ、託されるだけの私は、先生方の信心を頂いてもらわなければならん、という事はです、お参りをしてきた信者に、誰か此処に座っておってもです、ね、
誰でもがです、その自分のその時の取次がせて頂く、その人の責任を感じさせてもろうてです。こりゃこんなことじゃいかんぞ、と生き生きしたものをです、こちらがこゝに座っとって持っとかなければ与えられないぞと、いうくらいのものがなからなければ、私は皆さんに託して安心して行く事がでけないということ。信者の皆さんに託して、私があちらへ行くためには、皆さんの信心がです。
もちっと生き生きとして、言わば椛目の、真実心のふるさととしてです。例えよし此処で何とも頂けなくても、自分で何かを頂いて帰れるだけの、ここをおじばとしての頂き方が、もちっと深くでけなければいけない、ということなんです。そういう私は、椛目と皆さんとの間の中にです、ね、お参りをされ、里に帰りさえすればです、ね、やっぱり帰って心がなごむ。
そして それがなんなっとん、例えば里が 私の母なんかは麦生のほん山ん中でございましたから、ミカン時にはミカン、柿時には柿、何なかならイモなっとん おこして何なっとん持たせて帰さなければ、そのおらんというのがやはり、じいばばの気持ちなのである、親の気持ちなのである。またそれをもろうてかえるということも有難い。何か此処に来たならばです。
頂いて帰らなければ帰らんという様なものが、私は各々なからなければ、これはお日参り朝参り夜参りしよるものでも、同じ事なんです。参ったたんびに何かそこにふれる事がでける、頂いていくことがでける、今日お参りしたばってんからもう、お参りせん方がよかった、という様なものを与えるような事ではでけん、又その様なことで帰る事もでけん。そこんところが私は、具合よういった時です。
私が此のこれに讃を書いておる様なその事は妻に託して、屠蘇の座につかれると私は思うですね。どうぞ此処が皆さんの故郷として おちばとしておかげの頂けれるところまで、お互いの信心をです、ここで新たな信心の、新たな心を生みなしていくところ働きというものがです、そういう働きを受けていかなければならんと思うですね。
どうぞ。